大晦日恒例焼鳥パーティ

30日の総選挙も無事に終わり、大晦日は恒例の焼鳥パーティが行われました。

20年近く前に、モンジュールさんのリクエストで日本酒と焼鳥のタレと竹串を持っていたことがきっかけで、年末年始の渡航では必ず焼鳥パーティを行ってきました。

最初の頃は、日本の焼鳥を知っている人がいないので、市場で絞めた鶏の肉を骨からそぎ取り、竹串に刺せる位の大きさに切り、玉ねぎは1/4に切って、ネギマにしました。

だんだん、仕込みの作業は私から離れていき、今では、指示をしなくとも串に刺させる状態までになつて出てくるようになりました。

竹串も持ち込んだサイズの物がラッシャヒで普通に買えるようになりました。どうも、私がラッシャヒで始めた焼鳥が食文化として定着し始めているようです。

焼鳥の前にタンドリーチキン風の骨付き焼鳥を焼いていました。

レンガを立てて、串が上がる幅にして竹炭を入れて焼いています。

焼鳥のタレは、エバラの大きいボトルを持って行ったこともありますが、最近は小さなタイプの物を持ち込んでます。

上の写真の一番右側のミロンはアロアシャ学園の卒業生です。彼は自動車解体の研修生として日本に行ってことがあります。日本で焼鳥を食べたことがあるか尋ねましたが、宗教上の理由から食べたことがないと言っていました。

お祈りをしていない(ハラルでないもの)肉は食べない規律を守ったようです。ただ、牛肉を一切れ食べたと言っていました。

彼はアロアシャ学園の食品加工工場の責任者として活躍しています。

焼鳥パーティにはアロアシャ学園関係者やモンジュールさんの娘ポロマ(上の写真左)の友達も招待されていました。

アロアシャ学園の前校長アリさん(モンジュールさんの甥)が息子のピアムと一緒に来ていました。

彼は、校長の職に満足せずジャガイモ栽培で独立したものの、素人農業はすぐに限界がきて、現在は建設会社を興し、従業員25人、日雇い労務者100人を抱える最高責任者として頑張っているようです。

娘のプリマはラッシャヒ大学で英語を専攻する学生だと言っていました。プリマもピアムも小さかった思い出しかありません。時がたつのは早いものです。それだけ、自分も年を重ねているのです。

もう一人、異色の人物が招かれていました。上の写真右の彼。彼は陸軍のセキュリティサービスの責任者です。

元々、モンジュールさんと知り合いだったのですが、今回、総選挙が行われたため、職務の外国人警護と私たちの警護が重なってしまいました。

モンジュールさんは以前からチッタゴン丘陵に住んでいる少数民族のイチゴ栽培指導をバングラ陸軍から依頼されていました。少数民族とのトラブルを武力による解決ではなく農業での生活支援を考えたようです。

現地時間、午後9時(日本時間1日午前0時)にカウントダウンが行われ、日本の年明けを参加者みんなで祝いました。

30日に総選挙があり、実質的な厳戒令が敷かれたことの影響のためか、街の中は静かな新年を迎えました。

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