マダム・ナスコ逝く

アロアシャ学園を支援するために設立され、山形県鶴岡市に本部を置いていた「アロアシャの会」の元代表であるマダム・ナスコが73歳の若さで12日にお亡くなりになりました。

マダム・ナスコの業績は華々しく、国際協力では山形県鶴岡市を一躍有名にした人物です。夫君であり文化人類学者(アマゾン民族研究)の山口吉彦先生とともに、「庄内国際交流協会」を立ち上げられました。全国の留学生を鶴岡市を中心とした庄内地方に招いて地元の若者とともに国際交流を行った「庄内国際青年祭」は、全国でも初めての事例であり、箱根で行われた箱根国際会議では「庄内方式」と言わしめるほど、先駆的な取り組みをなされてきました。

また、庄内の中高生をタイの自由学校である施設「子供の村学園」に毎年派遣し、庄内地方の国際交流の後継者たちを育ててきました。さらに、自ら青年海外協力隊のシニアとしてドミニカで活躍され、協力隊員の親睦団体「やまがた地球家族の会」を立ち上げられました。夫君の吉彦先生のアマゾン研究と膨大な資料の展示をするアマゾン資料館やアマゾン博物館の経営にもご尽力されてきました。

これらの素晴らしいご活躍が認められ、ご夫婦でサントリー地域文化賞を受賞されました。

ところが、マダム・ナスコの体には乳がんが忍び寄り、一時は「笑いでガンを笑い飛ばそう!」をテーマにラフターヨガに取り組まれましたが、発病から10年近くたった先日、帰らぬ人とのなったのです。

残念ながら華々しい光には濃い影ができるものです。

アロアシャ学園の支援について、黒い噂が立ち、その事実を確かめるため、マダム・ナスコがドミニカに行っている間に私は調査を依頼されてバングラデシュに行ったのです。

私は悪友にだまされて1997年に初めてバングラデシュに行きました。その時に、モンジュールさんに頼まれて、モンジュールさんの農業技術を手伝うと約束したことがアロアシャ学園との最初のつながりではありますが、私が決定的にアロアシャ学園に関わることになったのは、この黒い噂を調査するためにバングラに行ったことが最大の理由なのです。

調査結果については口外することはできませんが、光あるところに影があるというのは自然の摂理であり、誰も避けて通ることはできません。

マダム・ナスコの生前のご活躍に敬意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

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