ダッカ・モスリン再生プロジェクト

2,3日前、来日中のモンジュールさん宛にバングラ政府からメールが届いた。

以前から、モンジュールさんがバングラ政府にプロジェクト事業として申請していたダッカ・モスリンの再生プロジェクト事業が採択されたという連絡であった。

ダッカ・モスリンは今では伝説の薄布と呼ばれ、ダッカのある特定の地域で栽培されていた綿から糸を紡ぎ、透き通るような布に仕上げるバングラデシュの貴重な高級輸出品であった。

しかし、バングラデシュを植民地化した英国は、自国が進める綿産業の邪魔だとして、ベンガル人技術者の両手、両腕を切り落としたという、おぞましい歴史を残した。

これにより、ダッカ・モスリンの製造者は絶え、原料となった綿さえも栽培されなくなった。

これに目を付けたのがモンジュールさんであった。

タヌキおやじ   
「モンジュールさんのことだから、遺伝子見つけて、コットンを栽培するのでしょう。」
モンジュールさん 
「あなたは、すぐにわかりましたね。あの人たち(政府関係者)に何回説明してもわからなかった。大変でしたよ。」
モンジュールさん 
「木綿ですよ。」

モンジュールさんは、失われたダッカ・モスリンの原料である綿の遺伝子を探し、綿を栽培し、糸を紡ぎ、布を織り上げるというプロジェクトを半年以上前からバングラ政府に企画書を提出し、何度も打ち合わせをして、やっと、再生事業として認められたのである。

モンジュールさんの言葉から「木綿(もめん)」という日本語が出てくるとは思わなかった。

ダッカ・モスリンの現物は国立博物館に展示してあるので、見たことがある。しかし、ボロ布の印象しかない。

タヌキおやじ   
「国立博物館でダッカモスリンを見たことがありますが、ボロボロでしたよ。」
モンジュールさん 
「あの人たち(博物館関係者)は、コットンの保存方法を知らないんです。だから、ボロボロになったんです。保存の仕方で、あの人たちと喧嘩になりました。あのモスリンから遺伝子を見つけなきゃならないでしょう。」

正式に事業として採択されたとなれば、大きなプロジェクトになるという。遺伝子、栽培、糸の生産、織りなど様々な分野ごとにチームを作り事業を進めるのだという。

モンジュールさん 
「この仕事に手伝って下さい。綿を探しにアゼルバイジャンに一緒に行きましょう。」
タヌキおやじ   
「綿の品種はシルクロードと関係するのですか。」
モンジュールさん 
「その通りなんです。」
タヌキおやじ   
「ロマンのある仕事ですね。歴史とロマンですね。」

富山大学にコットンを分析する有名な分析機があるという。

モンジュールさん 「来年は富山に来ます。」

まもなく、60歳になるモンジュールさん。モンジュールさんの情熱に年齢は関係ない。

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